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【刀剣を拝見!

 

DMM×ニトロプラスのブラウザゲーム『刀剣乱舞』を一ファンとして嗜んでおります。歴史好きではありますがなかなか刀まで網羅できていませんでした。

少しずつ知っていくいい機会かと思い、少しずつ刀剣男士達と仲良くさせていただいてます。以下は拝見できた刀について知ったこと思ったことなどの自分用まとめ。

大変雑多な上にまだ途中です。政宗公に関する刀はページ最下部へ。最下部の燭台切のとこだけどんどこ感想が増えていくのは…許してください…orz

ゲームに関する刀剣については別ページへ。(2015.10..一部情報追加)

 

米沢上杉博物館

 

 

※撮影不可※

 

2015年9月26日

2015年9月27日見学

 

五虎退吉光【短刀】
ごこたい よしみつ
 

粟田口藤四郎吉光に作られた刀。長尾景虎(後の上杉謙信)が上洛した際に正親町(おおぎまち)天皇より下賜され、以降上杉家に伝来。「上杉家御手選三十五腰」のひとつとされ、後に大変な刀好きだった明治天皇が天覧されている。 足利義満の役人が遣明使として明に向かった際に、5頭の虎に襲われたがこの短刀で追い払ったといういわれが名前の由来。
遣明使の役人→足利義満→将軍家→長尾景虎→上杉家
◆上杉家蔵 2015年9月上杉博物館にて展示中◆

 

※下記の姫鶴エピソードと同じときの話。「自分の持ってる吉光と五虎退はどちらがよりよきもの?」と聞いて、本阿弥家からの「孝明天皇(御父上)より継がれた吉光が上でございます」という返事に「五虎退の上なら十虎退だね」とご機嫌になられたという話も!大好き!!鶴丸国永も伊達家から明治天皇に献上されたんです?どれだけだ!陛下大好き!!

…しかし…ちょっと気になる話を聞いてしまったのですが、あの黒錆についても再度確認したい…。

 

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姫鶴一文字【太刀】
ひめつる いちもんじ
 

備前一文字派による鎌倉中期の作。当時の華やかな作風を「福岡一文字」と呼ぶとか。丁子乱れ互の目などを交えた変化に富む刃紋。地鉄は鮮やかな乱れ映りとのことだが、ちょっと見づらく確認できず。拵は鍔のない合口拵え。本身と拵がセットで重要文化財になっている。

上杉謙信公が磨り上げて短くするよう命じたところ研師が夜に夢を見る。その夢とは”鶴”と名乗る美しい姫君が現れ「どうか磨り上げるのはやめてほしい」と懇願するものだった。研師は謙信公にそれを伝え、磨り上げは中止されたという

◆上杉博物館蔵 2015年9月展示中

 

※明治14(1881)年6月16日の天覧の「陛下が刀に夢中になりすぎて翌日の予定キャンセル」事件は、明治天皇大好きエピソードのひとつ。ですが、すみませんどうやら「翌日の予定」ではなく、「前日のスケジュールを急いで終わらせて早く米沢入りした」というのが本当らしい…です!!失礼しました。ちなみに姫鶴をたいそう気に入られた陛下は譲ってほしいとねだられたそうな…。が当然それは難しく、諦めきれずに押形を取って持ち帰られたとか。どんだけだ!陛下大好き!!(二回目)

 

東京国立博物館

本館総合文化展

 

※撮影一部不可※

 

2015年9月23日

見学

 

古備前 正恒【太刀】
こびぜん まさつね
 

によって作られた太刀。平安時代末期の刀工正恒(生没年や詳細は不詳)

◆2015/7/22~2015/9/23まで展示◆

 

古備前のイメージが先にあってしまったからか、なんだか細身で上品な刀に見えました。あと鋒(きっさき)がちょりんとしてて可愛い…。

 

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豊後国 行平【太刀】
ぶんごのくに ゆきひら
 

編集中

 

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厚 藤四郎【短刀】
あつし とうしろう
 

編集中

 

※藤四郎はまだ他に包丁藤四郎しか拝見したことないけど… 「ごつい(@□@;)!!」と一目見て思いました!安心感パネェ!!と思わずTwitterで呟いてしまったなう。

 

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来 源国俊【太刀】
らい みなもとのくにとし
 

編集中

 

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福岡 一文字(岡田切 吉房)【太刀】
ふくおか いちもんじ おかだきり よしふさ
 

編集中

 

※き…きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!ああ!?といきなりテンションが爆上がりしま、した。めっっっちゃ綺麗…そして派手。一文字の刀は好みだ

 

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長船 長光(蜂谷 長光)【小太刀】
おさふね ながみつ はちや ながみつ
 

編集中

 

※んんん?長船のイメージ…ではなかった…。

 

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相州 国光【短刀】
そうしゅう くにみつ
 

編集中

 

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相州 貞宗(切刃 貞宗)【名物・刀】
そうしゅう さだむね きりば さだむね
 

編集中

 

※亀甲貞宗も割とガッチリめの落ち着いた感じでしたが、この貞宗も安心感がすごいな…。太鼓鍾や物吉も見てみたい!見てみたい!!横手がないように見えるのですが短刀じゃないのにこういう形もありなの?

 

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式部丞 信国
(奉冨士本宮 源式部丞 信国)【脇差】
しきぶのじょう のぶくに
 

編集中

 

※銘の長さよ…そしてアピールの強さよ…。極太の樋の中に浮き彫りにされる「富士浅間大菩薩」の文字に圧倒されました!

 

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相州 綱広【刀】
そうしゅう つなひろ
 

編集中

 

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長曽祢 虎徹入道 興里【刀】
ながそねこてつ にゅうどうおきさと
 

編集中

 

※先に中鉢美術館でも見てるんですが…ですが…!

 

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石堂 運寿是一【刀】
いしどう うんじゅこれかず
 

編集中

 

 

用語など

 

【「打刀(うちがたな)」って何?】

打刀:刃を上にして、腰帯に差すタイプ

短刀:一尺(30.3㎝)未満の刀

脇差:二尺(60.6㎝)未満の刀

太刀:反りが深く刃を下にして吊るす物

大太刀:三尺(90.9㎝)を超えるもの

     ただし厳密ではない

槍 :長い柄の先に直刀をつけたもの

薙刀:長い柄の先に彎刀をつけたもの

※どちらも読み方は同じだが

「太刀」は彎刀(わんとう=反りがある)

「大刀」は直刀で主に平安以前の刀

 

【「銘」と「号」って何?】

銘:茎(なかご)部分に刻まれた刀工の名前・

  生国・居住地・製作年などのこと。

  特に形式は決まっていないため記載のない

  ものもある

号:銘とは別に付けられた、エピソードに由来

  する渾名など

  (燭台切っちゃったので「燭台切」、

   止まろうとしたトンボが切れ味よすぎ

   勝手に切れてしまったので「蜻蛉切」

   とかですね。)

額銘:元からある銘を切り取っておき、磨上げ

  した後ちょうど額のように元の銘を嵌め

  込んだもの

 

※茎(なかご)は刀の柄に入っている部分

 

【「名物三作」って何?】

豊臣秀吉によって決められた三名の名刀工の作品のこと。相州五郎入道正宗、越中郷義弘、藤四郎吉光を合わせて三作と云う。特に江戸期には吉光が三作の中でも最もよいとされ、武家階級で重宝された

 

 

【直刃(すぐは)と乱刃(みだれば)って

何?】

直刃は刃紋が直線のもの。広さによって種類がある。乱刃は直線でないもの。形によって色々な呼び名がある

 

 

【大磨上無銘(おおすりあげ むめい)って

なんのこと?】

磨上:長い刀身を茎(なかご)尻より切り縮めて

   刀身全体を短くすること

大磨上無銘:磨上により茎部分に切られた銘

   部分がなくなってしまった刀のこと

再刃:何らかの理由で焼けてしまった刀に再び

   焼入れを施し刀の体に戻すこと

 

 

【最上大業物(さいじょう おお わざもの)

とは?】

◆刀・太刀などの最上級品のこと

 

◆刀工の質(格?)を指す場合は、1815(文化12)年、御様御用(おためしごよう:刀剣の試し斬り役)山田浅右衛門により行われた刀の御様の結果をいう

刀工ごとの切れ味を「最上大業物・大業物・良業物・業物」の4段階に分類したリストが公表されている

「大業物十四工」の中に

  • 長曽祢虎徹

  • 長船元重

  • 和泉守兼定(二代 兼定、之定)

などが挙げられている

 

 

【4年を二二年と書くのは何故?】

兼定の刀などの銘に「文明二二年」などと刻むのは、”四”は”死”に繋がり縁起が悪いからとのこと。

 

 

【御物(ぎょぶつ)って何?】

皇室に伝来し、現在も私有品である絵画書跡刀剣などの所蔵品のこと。

戦前には国立博物館や正倉院の所蔵品も併せて「御物」とされたが、戦後は皇室の資産は国有財産となった。ただし「三種の神器」や皇室に所縁の深いもの・儀式に関する刀剣類はそれに含まれず、現在も御物として管理される

 

◆同文字だが御物(ごもつ)と読むと

 室町幕府8代将軍足利義政の所蔵品

 徳川家伝来の名物茶道具 とされる

◆同じく御物(おもの)と読むと

 天皇陛下や高貴な方の食事を意味する

 

 

【天下三名槍(てんが さん めいそう)

とは?】

それぞれに伝わる由緒や伝来・エピソードによって選ばれたもっとも優れていると云われる名槍三本を指す

 

◆御手杵(おてぎね)

日本号(にほんごうorひのもとごう)

蜻蛉切(とんぼきり)

 

 

【天下五剣(てんがごけん)とは?】

それぞれに伝わる由緒や伝来・エピソードによって選ばれたもっとも優れていると云われる名

刀五本を指す

 

◆童子切(どうじぎり)

国宝・太刀・銘『安綱』

◆鬼丸(おにまる)

御物・太刀・銘『國綱』

◆三日月宗近(みかづきむねちか)

国宝・太刀・銘『三条』

◆大典太(おおてんた)

国宝・太刀・銘『光世作(みつよ さく)』

◆数珠丸(じゅずまる)

重要文化財・太刀・銘『恒次(つねつぐ)』

※数珠丸の作者は古青江恒次とも古備前恒次とも云われる

 

 

◆生まれた時期・関連の時期

 

平安(794年–1185年

 

987~989年

 ◆三日月宗近

 ◆小狐丸

 ◆石切丸

 ◆岩融

 ◆今剣

 

1051~1062年

 前九年の役

1083~1087年

 後三年の役

 

1180年8月

 源頼朝挙兵

 

 

鎌倉(1185年–1333年

 

1189年4月30日

 衣川館にて源義経(30)自刃

 同場所にて武蔵坊弁慶戦死

1192年7月12日

 源頼朝 征夷大将軍就任

 (鎌倉幕府成立とされる)

 

1247~1255年 

 ◆燭台切光忠

 ◆長船光忠(東京国立博物館蔵)

 

1259年~ 

 ◆鳴狐

 ◆鯰尾藤四郎

 ◆骨喰藤四郎

 ◆平野藤四郎

 ◆厚藤四郎

 ◆前田藤四郎

 ◆秋田藤四郎

 ◆乱藤四郎

 ◆五虎退

 ◆薬研藤四郎

 ◆鎬藤四郎

 ◆包丁藤四郎

 ◆博多藤四郎

※藤四郎の生まれは順不同です※

 

1288年~1293年

 ◆児手柏(手掻包永)

 

1297年

 3月1日 ◆蛍丸

1330年~

 ◆大倶利伽羅

 

 

室町(1333年–1573年

 ※南北朝(1336年–1392年

 ※戦国時代(1493年–1590年

 

1390年頃

 ◆備前元重

1472年~

 ◆歌仙兼定(二代兼定作)

1489年~

 ◆一国長吉

1501年~

 ◆蜻蛉切

1559年6月16日

 五虎退 長尾景虎へ

1571年

 児手柏 大和多聞山城戦に参加

 

 

安土桃山(1573年–1603年

 

1574年3月13日

 児手柏 四寸磨り上げられる

1582年6月2日

 本能寺の変 織田信長没

1596年7月13日

 慶長伏見大地震

同年10月

 燭台切光忠 伊達政宗(31)へ

1600年9月15日

 関ヶ原の戦い

1614年11月19日~12月

 大坂冬の陣

1615年5月

 大坂夏の陣

 

 

江戸(1603年–1868年

 

1620年11月

 大倶利伽羅 伊達家(政宗54歳)へ

1647年

 ◆大和守安定

1650年~

 ◆陸奥守吉行

1657年3月2日~4日

 明暦の大火(振袖火事)

 鎬藤四郎焼失

1670年~ 

 ◆加州清光

 

1864年7月8日(元治元年6月5日)

 池田屋事件

 

明治(1868年–1912年

 

1868年1月3日

 鳥羽伏見の戦い

1868年7月19日

 沖田総司没

1869年6月20日 

 箱館五稜郭 土方歳三没

1881年10月

 米沢上杉宝物殿にて

  五虎退・姫鶴一文字天覧(明治天皇)

 

 

大正(1912年–1926年

1923年9月1日

 関東大震災

  燭台切光忠・児手柏・国光脇差焼刃

 

 

昭和(1926年–1989年

 

 

平成(1989年–現在

 

2011年3月11日

 東日本大震災

2015年4月30日

 燭台切光忠 水戸徳川ミュージアムに

          現存との初報あり

2015年5月17日

 燭台切光忠 公開

 

中鉢美術館

 

 

※期間中撮影不可※

 

2015年8月8日見学

2015年8月22日見学

2015年9月20日

見学・講座受講

 

小夜左文字【短刀】
さよ さもんじ
 

左文字作。

◆現存 法人蔵 重要文化財◆

 

なんと…2015年8月8日、宮城県大崎市岩出山の中鉢(ちゅうばち)美術館にて50名限定で一時間のみ持ち主の方が公開してくださることに…。偶然8月8日は仙台行きの予定が入っていたので、もちろん時間を合わせて拝見しに参りました!!

 

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閉寂【太刀】
ふさちか
 

奥州鍛冶・舞草・

◆現存 中鉢美術館蔵

 

※舞草刀。編集中

 

水戸徳川ミュージアム

「水戸徳川家の宝物展」

 

※撮影不可※

※5月17日のみ撮影許可あり※

 

2015年7月11日

2015年7月25日

見学

 

燭台切光忠【太刀】
しょくだいきり みつただ
 

鎌倉時代中期の刀工備前長船光忠の作。焼身のため関東大震災以降非公開だったが、2015年5月17日・7月11日より公開開始。説明は下記同刀へ。

◆徳川ミュージアム蔵 7月11日~9月2日まで同館で展示中◆

 

※現存しています!!しています!!

政宗公の愛刀の一振りということで、名前を知ってはいましたが特に詳しく調べたことはなく。ずっと震災で焼失してしまったと思い込んでおりました。それが目の前に在る感動…。本当に有難い…。

先日押形を拝見したり写真を見てずっと気になってたんですが、光忠…やっぱり反りが直刀に近いですよね。押形の通り(当然か)帽子部分も直線に近く、スマートだけど武骨に見える…。刃紋があんなにド派手なのに…このストイックな形。カッコいい。茎(なかご)部分からの腰の反り。からのまっすぐ先を刺す、迷いがない感じ。

本当に素敵。元の本身を見たかった。

このシャープな刀身に細かく入った乱刃、ギャップ萌えですよ。見たかった。見たかった。でも…完全に焼けてしまっているのか、なんだか薄く、軽く、感じて切なかった。です。イメージですが、薫りを感じなかった。切なかったなぁ…。なんとなくですが、児手柏には香りのイメージがあったのですよ。来国光は同じく罹災した刀ですが、「重い、厚い、使われてる!!」って主張してくる感じだったんだけど…燭台切…泣きたい。

 

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児手柏【太刀】
このてがしわ
 

鎌倉正応時代(1288~93)頃に活動した大和国の刀工初代包永(手掻包永:てがきかねなが)によって作られた刀。室町幕府第12代将軍足利義晴から細川藤孝(後の幽斎:忠興の父)が拝領。1571(元亀2)年、大和多聞山城を攻めた時に長くて使いにくかったので四寸(約13cm)磨り上げた。天正二年三月十三日/兵部大輔藤孝磨上之異名号児手柏 と刻まれている。将軍家からの下賜の品なんですが。

表裏で刃紋が違うため、万葉集の「奈良山の児の手柏の両面(ふたおも)に かにもかくにも侫人(こびひと)の徒(とも)」=「奈良山の児の手柏みたいに、裏表のあることを言うムカつく野郎だ(by消奈行文)」という歌より”児手柏”と命名される。表の刃文は大乱刃(おおみだれば)、裏は中直刃(なかすぐは)であった。

幽斎→次男の興元→家康(関ヶ原合戦時に佩いていたと云われる)→徳川水戸頼宣→水戸徳川家

◆徳川ミュージアム蔵 7月11日~9月2日まで同館で展示中

 

※命名幽斎さんと云われてますが…由来wちょっとwww

3年後の1574(天正2)年にはとっとと磨り上げてしまってるんですがそれ御下賜品なんですよね。(大事なことなので二度)

あと家康に500貫で売りました。それ御下s(ry

現在見られるのは焼身状態で痛々しいのですが、刀身の反りがまろく優美で切先まで大変美しいです。心持ち身がふっくら輝いて見える気もします。ぜひ押形も拝見したい…

 

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国光【脇差】
くにみつ
 

水戸徳川家二代目光圀の愛刀。説明は下記同刀へ。

◆徳川ミュージアム蔵 焼刃状態で展示中◆

 

天下三名槍 御手杵レプリカ

茨城結城蔵美館

 

※撮影可※

 

2015年6月21日見学

御手杵 【大身槍】
おてぎね    おおみのやり
 

室町時代に活動した駿河国嶋田の刀工五条義助が鍛えた大身槍。

◆現存せず 結城市結城蔵美館にてレプリカ展示中◆

 

※東京大空襲にて焼失した時のエピソードがつら過ぎます…。もう二度と元に戻せない鉄の塊を見て、管理をしていた方々は何を思ったか…

 

水戸徳川ミュージアム

 

※撮影不可※

 

2015年6月21日見学

国光【脇差】
くにみつ
 

水戸徳川家二代目光圀の愛刀。藤井紋太夫を手打ちにした際に刃こぼれをしたものがそのまま残されている。関東大震災の被害を受け、燭台切光忠らと共に焼刃。本身の展示あり。武庫刀纂に往時の姿の記載あり。

◆現存 徳川ミュージアム蔵 焼刃状態で展示中◆

 

東京国立博物館

本館総合文化展

 

※撮影一部不可※

 

2015年5月31日

2015年7月18日

見学

 

展示内容に刀剣の数も多く、記載したのはごく一部。

 

三日月宗近【太刀】
みかづき むねちか
 

山城国(京都)三条に住み平安時代(永延年間:987~989)に活躍した刀工三条小鍛冶宗近によって作られた太刀。

◆現存 2015/5/12~2015/7/20まで展示◆

 

※2度とも長蛇の列で、ゆっくりは拝見できませんでした…

 

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長船光忠【太刀】
おさふね みつただ
 

鎌倉時代中期の刀工備前長船光忠の作。

 

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亀甲貞宗(相州貞宗)【刀】
きっこう さだむね そうしゅう さだむね
 

相州国鍛冶貞宗作の刀。

◆現存 2015/5/12~2015/7/20まで展示◆

 

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津田助広【刀】
つだ すけひろ
 

江戸時代延宝頃の摂津国の刀工 津田越前守助広により作られた刀。助広の年代によって「源・藤原、津田、丸津田」と銘が変わる。

 

※同じときに拝見した刀剣室の中では私は!助広が!一番!!好きです!!次点で貞宗…。甘めの蕩ける様な刀も嫌いじゃないですが、どうやら私の好みはガツンと存在感のある刀のようです…。そんな話を某作家さんにしたら、同時代の井上真改も勧められました。まだ見たことない。気になる。

 

2015年

3月28日~5月17日

大関ヶ原展in東京

江戸東京博物館

 

※特別展写真完全

不可※

 

4月24日

後期展示見学

 

 

備前元重【刀】
びぜん もとしげ

 

南北朝期の刀匠、後に最上大業物(さいじょう おお わざもの)十四工に数えられる名工備州長船住元重によって作られたもの。徳川四天王のひとり榊原康政が駿府で家康から拝領した。(※要時期確認)榊神社は康政の甲冑が御神体として祀られており多数の資料が残る。

◆榊原家蔵◆無銘

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蜻蛉切【槍】
とんぼきり
 

伊勢村正(むらまさ)の三河文殊派藤原正真(ふじわらのまさざね)の作とされる。徳川四天王のひとり本多忠勝愛用の槍で、信長からも「花実兼備の勇士」と讃えらえるほどの活躍振りのから蜻蛉切は『天下三名槍』の一本となった。通常柄の長さは4.5m程だが、6mほどもあったと云われる。服部氏→本多忠勝→?→現存

◆矢部家個人蔵◆

 

※かなり使い込まれて研がれているイメージ。猛々しく大きな穂先を想像していたのですが、触れたら鈴の音が聞こえてきそうな程の繊細さでした…。本当に意外。

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一国長吉【大身槍】
いっこく ながよし おおみのやり
 

室町期の山城鍛冶を代表する刀工 平安城(へいあんじょう)長吉によって造られた槍。特に刀身彫刻に優れ、この槍にも塩首(けらくび=槍の刀剣部分が柄に接している部分)に「八幡大菩薩」の彫刻と、樋(ひ=衝撃緩和・曲がり防止のために刀身に掘られた溝)の中に三鈷剣が浮き彫りにされている。黒田官兵衛(如水)の嫡子 黒田長政が愛用した。この鎗をもって武功をあげ、筑前一国を手に入れたことからこの名がある

◆福岡市博物館蔵◆名物

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石田正宗【刀】
いしだ まさむね
 

◆◆名物

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鳥養国俊【太刀】
とりかい くにとし
 

愛染国俊の兄弟刀。

◆◆名物

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包丁藤四郎(吉光)【短刀】
ほうちょう とうしろう
 

初めての藤四郎…。前期展示では骨喰藤四郎が出てたとのことですが、どの辺りの流れの展示だったのかな。

◆◆名物

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下坂之作【槍】
しもさかのさく
 

戦のために大急ぎで量産した槍?

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直江志津【薙刀】
なおえ しづ
 

ごっつい薙刀でした。

◆◆無銘

 

政宗公関連の刀

【政宗公に関する刀】

 以下は未見を含めて、政宗公に関係のある刀について。

鎬藤四郎(凌藤四郎)【短刀】
しのぎ とうしろう   しのぎ とうしろう
 

管領細川家→?→信長→秀吉→政宗→政宗の死後、仙台城改築の許可願いの代わりに徳川家へ献上→明暦の大火にて焼失

◆現存せず◆

 
太鼓鍾貞宗 【短刀】
たいこかね さだむね
 

編集中

鎺藤四郎 【】
はばき とうしろう
 

秀吉から拝領した刀。

大倶利伽羅廣光 【太刀】
おおくりから ひろみつ
 

鎌倉から室町時代にかけて活動した相州廣光作と伝わる刀。刀面に倶利伽羅龍が彫られていることからこの名がある。元々は現存のものよりも長かったが摺上により二尺二寸二分半(約67cm)となり”大磨上無銘”となる。1620年の江戸城石垣修復の褒賞として、徳川家から伊達政宗に下賜され、その後昭和までは伊達家所蔵であったが現在は売却され個人(法人)蔵に。

◆現存 法人蔵(大阪府茨木市) 重要美術品指定◆

 

【はみだし雑記】伊達家に大倶利伽羅が来たのは1620年なんですが、既に江戸幕府開府してます。この年政宗は自国詰めだったので直接刀を受け取ったのは江戸詰め中の嫡男忠宗でありました。その後政宗は必ずこの刀を軍陣で帯びていたとか。

…陣?会議のことかな。それともエクストリーム御伽衆の時かな。江戸期に入ってるし大坂も終わってるので戦は…ないはず…。倶利伽羅とは倶利伽羅竜王という不動明王の化身として崇められる神様です。

 

燭台切光忠 【太刀】
しょくだいきり みつただ
 

鎌倉時代中期の刀工備前派の祖 長船光忠の作。宝治建長(1247~55年)頃の人と云われる。1567年の慶長伏見地震で倒壊した城を再建築するため伏見によく滞在した秀吉に、慰みのため淀川に浮かべる御座船を政宗から献上。その褒美として秀吉から政宗に下賜された。その後、政宗が家臣を手打ちにした勢いで、そばにあった燭台も切れたことが名前の由来

伊達家から水戸徳川家所有になるまでの来歴は諸説あり

同工光忠作に御物である「銘 備前国長船光忠(三の丸尚蔵館蔵)」、信長公に愛された「実休光忠(本能寺でえ焼失)」、東京国立博物館蔵の「長船光忠」などがある

織田信長→豊臣秀吉→政宗→徳川光圀(父頼房?)→徳川家所蔵→関東大震災で焼失とされていたが→焼刃の状態で徳川ミュージアムに存在するとの情報あり(2015年4月30日)

現存 水戸徳川ミュージアム蔵◆

 

【以下随時更新】

※焼刃の為非公開。2015年4月25日~7月8日 企画展「家康公と御三家展」にて『武庫刀纂(ぶことうさん)』内の押形閲覧可能

※問い合わせ多数の為、急遽ミュージアムトーク「武庫刀纂に描かれた水戸徳川家の名刀」がご好意により開催される(2015年5月17日)

※2015年7月11日~9月2日「水戸徳川家の名宝展」にて公開

※2015年10月10日~羽田空港ミュージアムにて公開

燭台切光忠

【はみだし雑記】関東大震災での被災で焼失と思われてたものが実は不完全な状態ではあるが保管されているという発表が…ありがたや…。こんなリアルタイムでの衝撃の事実を体験できて、本当にありがたいです。いつか御身拝見できる日がくれば幸せ…!!!ひょっとしたら…他の焼失物件もどんな形でか残っているものもある可能性が…ありますよね…。ごくり。

ちなみに燭台切の名前が付く前の話ですが、秀吉から拝領した政宗は嬉々として翌日佩刀して謁見するよ!秀吉はふざけて「あの刀は盗まれたものだ」と側近に言っちゃって大捕り物騒ぎになるよ!ちゃんと最後にネタばらしはされましたが…政宗は怒っていいと思います(真顔)

那由多さんから先日の刀剣女子会にて、5月17日の光忠公開のお写真をいただきました!ありがとうございます!!

6月21日、磯部も展示中の武庫刀纂を拝見しに行ってまいりました。想像していたよりも細かい乱刃だったのと、地鉄の斑が意外だった…あれはなんていうものだったのかお聞きしたかったなぁ…。

7月11日、拝見できました!!!本当に…こんなに早く…拝見できるとは…ありがたや…!!ブログに感想を書きます!!現存しています!!しています!!

7月25日、当初の予定はこの日に拝見する予定でした…。我慢できなかったんや…

そして2015年10月10日より、羽田空港ミュージアムでも期間限定展示が。嬉しいけどどうか、どうか本身に無理がありませんように。長く大事にしてもらえますように。見られるのは嬉しいけど形あるものだからやっぱり怖いよ…。児手柏も東京に来るの怖くないかな。大丈夫かな。

 

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